答えたところでいつも逆の方

またsavexをひとつ使い切った日曜日。

 

初めて会ってすぐ、アラスカン・マラミュート、と思った。理由を求められたら困るけれど、ひとまずそういう印象を、そしてまだそこからブレていない。あれはおそらく接したことがほぼないのに関わらずも妙に好きな犬だ。鋭くて優しい眼をしている、手がつけられなさそうに見えるのだけれど存外よく懐きもする、でもひとなんて簡単に殺せそうなところなんかが好き。

 

犬はとても愛おしいけれど、愛玩の対象や家畜としては、たぶんなんだかうまく眼差せていない。これはきっと、可愛がっていた身内の犬に後ろから飛びつかれたときからだ。どんなに仲良くしていても丁寧にしつけてあっても血の臭いの前ではどうにもならないのだと身をもって理解した。それに対する嫌悪感は一切ないし、これまでと寸分変わらず愛している。ただ「犬はひとの友だちです」といった丸腰の響きは少し違う、これは畏怖だ。パートナーにはなれる、何よりも心を許すこともできる。ただ「友だち」と呼んでいいのか、うっすら疑問がある。あの生命体のことがわたしはひどく好きだ。

とはいえ、ハイティーンの頃の友だちは犬ばかりだった。みんな逝去してしまったけれど、引きこもりのわたしに彼らは等しく優しかったし、泣いていれば慰めてくれた。あの舌のぬくみ。彼らの舌に涙はどれほどの塩気だったのだろうか。
隣の家の彼はヒロくんだった。弟と生まれ年が同じで誕生日が一日違い、ヒロくんのほうが一日お兄さん。白い短毛、日本犬系の顔をした雑種、穏やかで賢いヒロくん。彼とは本当によく過ごした、小学校に上がる前からの友だちだ。間違えて彼を逃してしまったこともあった、走り去る姿に大いに慌てたけれどすぐに自分で戻ってきた。
彼がどんどん老いてゆくのが思春期のわたしにはとても辛かった。寄ればあんなにしっぽを振って近づいてきた彼は、常に横になってうつらうつらするようになっていた。それでもわたしが近づくと薄目を開けてよろよろと歩いてきて、優しい目でこちらを見る。わたしは自分の気持ちを一方的に彼に話しているばかりだったし、時折泣き出すこともあったけれど、そんなとき彼はいっそう近くに寄って、黙って手を舐めるのだった。何度も救われた、もしかしてあの頃のわたしのことをいちばん知っているのはヒロくんなのではないかとすら思うよ、とまあこれは書くことに酔っているがための誇張でしょうが、彼のこと、わたしは確かに友だちだと思っています。

 

こういったダブルスタンダードを簡単に働いてしまえる。結局生命体の種類さえ関係のないことなのかもしれない。にんげんにも畏怖はある、無条件に「友だち」など呼べるわけがない。同じことか。

 

犬の図鑑ばかり見ている子どもだったせいか、犬とひとの顔の区別が甘い。そのように種族の差さえも甘いわけで、当然個体差などがわかる目は持っていない。未だにたまにうっすら混乱する。
写真なんかを見ていて犬とひとの区別がつかないことがある、自分の魂の置きどころも間違えた気がする、という話をしたところ「犬身/松浦理英子」という本を紹介された。犬に生まれるべきだったが誤ってニンゲンに生まれてしまったと自認して生きるひとが犬の身体を得るまでの話だそうだ。下記に貼ったのは単行本だけれど、上下に分かれて文庫も出ている。

 

犬身

犬身

 

 


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広めの水槽で泳いでいる気分で過ごしている。でも所詮水槽だ、熱湯を注がれたらそれまでだ。窓を開けろ、酸素を寄越せ。とにかく週末は2日とも気持ちの良い日中だった。おろしたてのパジャマは綿100%で非常に快適。紺色と悩んで薄桃色にしたけれど、やっぱり紺色にすればよかったかな。まあよい、快適ならそれでよい。
上弦の月が膨らんでゆく、日々昼間のほうが長くなってゆく。とはいえ、どこに出かけられるわけでもない日々だから水槽に蓋をされているようだ、わたしが人魚だったら窒息している。だから、髪の毛に食べられちゃうよーなんて茶番で携帯端末のカメラを自分に向けたものを友人に送信し、「?」を受信、「あーあ、君が見殺しにするので髪に食い殺されてしまいました」で送信。

 

ひとのことを久し振りに先生と呼んだ。わたしの名前は情緒ちゃん、先生に感情を教えてもらうの、どりとかをね。感情ストローでちゅーって吸って主席を狙うんだ、まだ40000点中1点の落ちこぼれなんだけどね。さむむもひえひえもちべたも一緒だよ。

 


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蜜の詰まった身体に穴を開けて含有率を低めている。あんなに喚いていたのに5月になった途端食事が容易になった。
今週は日付の感覚が非常に曖昧。少なくとも2回は間違えた。まず月曜日に夜友人に「よい週中を」と声をかけたのを指摘され、次に昨日日付を間違えたのをやっぱり指摘された。カレンダーがふやけてびよんびよんに伸びている。この4月はあまり手帳を開かなかったから見落としたものがたくさんあるのだろう。
あんまりいっぱいお金はないけどまだ書物があるし、と思っていたけれど近所の本屋も活動をぎゅっと縮小していることに気づいた。気づいたけれど、気づく前からそうだったのだから気にすることじゃない。この本屋がわたしにもたらすものなんて、最低賃金の推移についての情報が9割なのだから。


ローファイな曲が好きなら、と勧められた曲をだらだらと聴いていた。「何も内容が無いようなこんな日に書くリリック綴るテーマは愛」とのこと。最後の一行までずっと最高。