君の頭骨をのせたい

 

昨日はスーパームーンかつ皆既月食だって言うから楽しみにしていたけれど、夕方くらいから雲が出てきて月はほとんど見えなかった。
それでもうっすい雲の向こうにある白い灯りが満月の大きさをしていないのは目視できたしそれで充分。スモークサーモンと新玉ねぎのスライスを和えたのに卵の黄身を落としてごま油をかけて、これがわたしの月見ということで。

 

今日は肌寒くて、だから恋人を抱き締めたい、という名目で会いたくなった。とはいえ寒い季節に会ったことなど一度もないし、寒さのせいにして抱き合ったこともない。だからきっとこれはただの建前なのだろうと思考を流して、帰宅してすぐ毛布にくるまった。こういう日があるからまだ長袖の肌着を脱げないし、ベッドシーツは冬用のままだ。そしてケトルの電源をつけてスープ春雨を胃に収めた頃にはとりあえずどうでもよくなって、(I can't) Change the worldを聴いた。

 

 

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寝そべるシベリアンハスキーの隣に腰掛けると、頭を少し上げて膝に頭骨を乗せてきたからそのまましばらくの間過ごしていた。

寝そべるとき前足をなにかに引っ掛けるのが好きらしかった、膝枕のままわたしの腕に前足の居場所を探そうとする。甘えて指を咥えようとする仕草をかわしたり、お腹を見せるように足を開いたのをわしゃわしゃ撫でたり、そうして遊んでいるうちに彼は目を閉じた。上下する白い腹。フローリングは冷たくて、わたしたちを包む直径1.5m程度の空間は穏やかで、どうしていいかわからなくて泣きたくなった。

 

思春期の頃、泣いてどうしようもなくなるとすぐ側に住む犬に話しかけに行った。

幼い頃から一緒に過ごしてきた彼は、その頃にはすっかり老いて眠るばかりだったのだけれど、わたしが泣いているときには寝床の納屋から起き上がって門扉の隣まで歩いてきた。隙間に鼻先を寄せてはわたしの手を舐めるから、そのたびにますます泣けてしまって、犬に優しくされたときの反応の正解って未だによくわからない。ただ泣きたくなる。

賢いシベリアンハスキーは、これは日がな一日自分を撫で続けるだけの存在であるとすぐに理解したようだったけれど、わたしはあなたの家族ではないから。

 

遊びに行った出先から違う場所に帰るための駅に向かうエスカレーターで、後ろから伸びてきた腕に弱い力で抱き寄せられたとき。あのときの感情と同じ箱に入れていいような気がする。好きなひとと抱き合っていると泣けてしまうことがあるけれどあれもそう。

剥き出しのいのちを並べるなんて、神様にはできない丁寧な作業だ。ふたつのいのちが身体のあちこちから無数に湧いてくるような、その総てを愛おしく思う感覚。呼吸に合わせて動く胸や腹、心音、温度や重み。そういったものを感じることだけでいつまででも過ごせそうだと思う、あの。

一緒にいて居心地良さそうにしている様子が心底嬉しいし、きっとずっと過去形にならないこうふく。わたしもそっと頭骨を乗せたい。もっとよく見せて、いのちのかたち。特等席の準備お願いね。