夢のような唇をすり抜けるくすぐったい言葉のたとえ全てがウソであってもそれでいいと憧れだけ引きずってでたらめに道歩いた

 

ちょうど1週間前の今頃、11−12日にかけての夜は高速道路の上にいた。サービスエリアというものがとても好きで、昼間の屋台なんかが出ているのもいいし、深夜の売店しか開いていないようなのも好ましい。いくつものサービスエリアに降りながら、眠りに落ちることもままならず、痛みを感じやすくなった心を積んだ身体を運んでいた。下記はそのとき携帯端末を撫でていた残滓。

 


水に触れるという行為の意味はどれくらい伝わっているのだろう。諦念で塗り込めてわたしの苦い肌はゆっくりとふやかされて痛みを感じる間もなく剥がされてしまった、でも風に晒せば血肉は痛むよ。

自分の舵が切れなくなっているのを感じている、一分一秒でも多く眠りたくて何度も何度も眠り直そうとして過ごしている。明日が来ませんように、今日で全部終わりますように、もし明日が来るのなら気を失っていられますように、起きるたびに意識を取り戻したくないと哀しくなっていて、起きてる間はずっと哀しい。

この水に触ったらわたしは酷く混濁しますよ、だから触らないほうがいいですよってアラートは嫌と言うほど出したのだ。触った場合はこうなるとも伝えた、伝えたはずだ。

 

おかしい、先々月や先月はもっと凛としていた。今月に入る少し前からどうにもおかしいのだ。頭のなかがぐにゃぐにゃと歪んで、声にはノイズが掛かり映像は乱れ、本当になかったと言い切れるもの、悪意の類がさもあったかのように加工してくる。違う、そんなのは違うのだ。わかってる、わかってるのにおかしいんだ、何と戦って誰に訴えているのかも判然としない、でも絶対に負けたくないんだよお前には。

どうしてひとりでこんな虚像と戦っているんだろう。

 


移動しているから音楽を聴いている。何気なくスピッツを聴こうと「小さな生き物」を流しながら歌詞を読んでみたらすこぶるよかったから「フェイクファー」「見っけ」「ハヤブサ」ときて、今は「三日月ロック」を流しながらこうやって端末を撫でては文字を並べている。


水が暴れ倒していて、もうわたしには手がつけられない、どこにも行けない、冷えた心が固まってくっついている。手のひらで包んであたためてもらえたら震えは止まるのだろうか。この洪水を抜けてくるひとはいないだろう、ああ、そう自分でやるんだよ。

きっと見ていないだろうから、誰も見ていないだろうから、それに身体が千切れたって足りない頭で伝えたって誇張だと思われるのが関の山だから、痛みで気がおかしくなりそうだ、それでも気づかれなかったら痛みの逃げ切りがちだ。
痛い痛いと嘆いたって仕方がない。でも痛いときしか痛いと言えないし、黙っていて収まるわけでもないだろう。


こんなことをべちべち打っていたらそろそろ眠ろうよと身体が言ってくる。


 

ここまで書いて端末を切ったのだろう、結局この移動中はほとんど眠らずに起きて音楽を聴いていた。そして車を降りて、そのまま音楽を聴きながら特急に乗って出雲大社に行った。ほとんど世捨てに近い、何もかもがもうどうでもよくて、でも家にいると死んでしまいそうだったのだ。

泊まる場所も考えずにとりあえず遠くに行った。諸般の都合で行くつもりのなかった温泉街で途中下車をすることとなったので、最寄り駅から電話をかけてその場で旅館を取った。温泉には当然ひとりで入ったし、浴衣だってきちんと着た。ひとりで旅館に泊まったのは初めてだった。その翌日には砂丘を見た、砂丘にもオアシスがあるということを初めて知った。今の旬だというモサエビというのを市場で買って、その場で洗ってもらって食べたのがとてもおいしかった。

 

 

 

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誠実であることについて考える、をした。何に対して誠実であるのかが肝要なのだという話。その話はまた気が向いたらきちんと書こう。

 

 

サービス期間だけと思ってSpotifyに登録していた(そしてほとんど使わなかった)のだけれど、解約をしようとしたその日に引き落としの連絡があり、それではと思ってもう1ヶ月登録することにした。せっかくなので活用していて、それっぽい音楽をダラ回ししている。

前述の通り、先週の今頃はスピッツを聴いていたのだけれど、海沿いで蟹を見たことを思い出して聴いたくるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」で、ここ数日はやけに泣けてしまう。

 

 

上海蟹食べたい あなたと食べたいよ 上手に割れたら
心離れない 1分でも離れないよ 上手に食べなよ こぼしてもいいからさ

 

ああ、それは随分なラブソングだな、と思ったのだ。特定のひとと何を食べたいと思うのは、確かに愛だもの。眩しくて、少し羨ましくて、胸が甘く苦しくなった、「思い出ひとつじゃやりきれないだろう」。

「あなたと食べたいよ」というタイプのラブ、わたしはとっても好き。俺は君の味方で君はもうひとりじゃないんだってさ、なんでこんな使い古された言葉が胸にくるんだろうね。