経年グラデ

 

非力な言葉しか持っていなくてどうやったって届くように調えられない。宛先不明というよりは滅多に開かない軒先のポストにじゃらじゃら手紙が積もっているような感覚があって、胸で言葉がつかえている。それでも言葉を吐かずにいられないのはこんなものしかないからで、つまり何もないとほとんど同義なんだけど、吐くものがあるうちはまだ。

 


わたしは1000ピースからなるパズルの1001ピース目。上手にハマる宛てのないパーツ。みんな3ピースくらい失くしちゃったりしてて、その上でまだ完成が遠いものだから気づいていないけれど、本当はわたしはどこにも誰にもぴたっとハマらない。余剰そのもの、はみ出し者。傾ければ簡単に滑り落ちて行ってしまうし、ないならないで困らない。
必要がないので簡単にポイできるけど、必需品だけでは味気ないよねって思う存在なんかがわたしをここに置いている。そもそもわたしは余剰を結構愛している側だから、自分のことを余剰だと思うのは驕りのようで恥ずかしい。だけれど余剰と不要はここでは同義と言えるだろう、って不要と思うのもまたいじけているみたいで恥ずかしい。結局自分は恥ずかしいやつだねってことだけ明白だよね。一度手放してみれば意外とどうってことない、ないならないで構わない。自分の帯びている性質のことはよくわかっている。
ということをぐにぐに考えていて、勝手にあなたに掬い上げられた心のことを思い出した。誰かのためを一切思っていないだろうからわたしはふわっと掬い上げられたのかもしれない。まどろっこしく書いたけれど、6文字で言うなら「胸を打たれた」。
あなたのこと(ば)が大好きだよ。

 


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11月の始まりの季節には帽子がないとか困ったことばかりっていうことは前々から知っていたから平気。困ったことばかりなんだもの。アボカドを挟んだサンドイッチを食べながら、「君は要らない 何も要らないのさ」という言葉の意味を突如理解したおそらく初夏。
君と会って何もしたくない、ただ頭骨をそっと乗せて、ズレないように静かに眠りたい。呼吸だけ聞いていたい。何も話さず、時間をふんだんに垂れ流して、別々の思考をぶつけ合うこともせず楽しみたい。
「感じ合っているよ 大人になって 抱き合っているよ 君は要らないのさ」、わんわん泣いた、ああ、要らないのか。アボカドの他に何が挟まっていたっけ、ツナマヨだったっけ、簡単に作れるなと思ったことだけ覚えているのだけれど、忘れてしまったからもう作れないよ。午後が穏やかであればあるだけ哀しかった、それは既に手から落ちたものであると、本当はわかっていた。

 


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ここまで書いて数日放置した、さっさと投稿すればいいのにって毎回思っている。

 


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「写メ」と呼ぶ癖が抜けない、という一行だけで少なくとも今10代などではないことは明らかになるだろう。LINEでチャットを交わすように従来型携帯をぽちぽちしてメールをしていたんだよ、そのメールに何枚かなら写真も添付出来て、でも場合によっては画質を下げたり画像を小さくしたりしないと送れなかったんだ。メールに添付する・された写真のことを写メと呼んでいたせいで、「メ」でなくとも、例えばLINEでも、携帯端末で送受信した写真のことはつい写メと呼んでしまうんだ。
自分がもう「若者」でくくり切れない年齢なことは理解していて(とはいえ国などはまだまだ若者と呼ぶのだろう)、かといって大人になったなんてちっとも思ってなくて、自分でもこんな年齢になれるんだーと思うばかり。10年前も10年先もわたしの性質は多くは変わらないのだろうけれど、例えば何が変わるのだろうと思うと胸がすっとするわね。

 

最近は毎日10分ずつだけれど運動をしている、10分でもきちんと疲れるものだね。運動をするととてもあたたかくなる、筋肉は熱を発するって本当なのだね。ほかほかする身体を横たえて、ゆっくり下降する心拍数と呼吸数を感じているのは好き。
少しでも綺麗になれたらいい、髪だって近々、それこそ10年ぶりだとかにばっさり切ろうと思っている。久し振りに心躍る服に出会ったから迎え入れたし、先月には珍しくピアスだって買った。今日より明日は老化が進んでいるけれど、内臓だってゆっくり死んでゆくけど、それでも少しでも納得のできる自分になりたいよね。乾燥で肌は痒くてどうしようもないしひっかきすぎるから表面がぱらぱら落ちて不潔だけれど、全部大丈夫になるよ。昨日よりも今日のほうがわたしっぽい。明日はもっとわたしになっている。深く染まりたい。そのためになら多少脱色したって構わない。脱色したあとにどんな色が入るのかって実は不確定なんだけどね。あるいは「なんだねどね」。

 


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ノックをしても開けて貰えないのは淋しいけれど、ポストに消印のない手紙を投函して帰る。最初から切手を貼って送ればよかった、そうすれば淋しくならずに済んだのに。わたしは筆不精だけれど、そういえば長らく手紙を書いていない。その間にもちまちまと切手は買い集めていた。なんのためにそうしているのかもう忘れかけている。

 

自分でも不親切な文章を書いている自覚はあるのだけれど、主語や目的語は呼吸するように省いてしまうしひとつの段落のなかで同じ呼び名を使いながら対象が変化してゆく。普通に文章を書こうとするとこうなってしまう、論理の一条も通っていない、おそらくは薄弱者なのだ。最近はここでばかり文章を書いているから真っ当な話し方を見失っている。シューゲイザーを聴きたいな、足元ばかり見ているくせにつまずくのはどうしてなのだろう、体幹を鍛えれば解決する問題でしょうか。

 

小石を並べて蹴飛ばしたら跳ね返ってきて額撃ち抜いたからこのへんがすーすーするんだけどこれって爽快感?それとも虚無感?とかいってこんな風に喋り続けるからまたデスクに置いてあるリップクリームを使い終わってしまいました、月曜日新品を持ってゆくこと。覚えておいてね。