記憶なく欲望なく理解なく

 

去年の秋にあてたパーマはまだうっすら残っていて肩下でゆるゆると気だるそうに揺れているけど、その少し気の抜けたずぼらな感じがなんだかいいってわたしは思うから。

 

「いつか自分になりたい」ってずっと思ってきたけれど、「自分以外になれない」っていうほうが今の気分に合う。何をしたって自分でしかいられないのならもっと思い切って全部捨てて全部変えて壊して組み替えて成りすまして塗りつぶして中指以外切り落として(タイピングに障りそう)、それでも自分がそこにあり続けるのなら、わたしはそれをきっと気に入る。

これまでわたしのことを好きだと言ってくれたひとありがとう、でもわたしはあなたの好きに応えるために生き続けるわけにはいかないし、だって生きてるんだもん。シーグラスって綺麗でしょう、わたしもっと転がって違うかたちになりたい。その過程で割れて誰かの手を切るとしても、その誰かに見限られることがあっても、だめだよ構っていられない。どう変質したってその先に残ったものを自分って呼ぶだけ。そこに誰もいなくても自分が残る、何もかも変わり果てた先でわたしはそれを全うする。

 

自分が好きなものくらい自分でちゃんとわかっているので変なところで無理もしない、そんな暇が本当にない。好きなひとしか好きじゃないし、好きになりたいひとしか好きになれない。それは淋しいのかもしれない、でもしたくない上にできないことに取り組むならもっとやること他にある。

ひとりでいい、ひとりでやれるだけの頭と身体、歪んだ視力や骨ばった体型をぎゅっと抱えて、この限りで生きてゆくためのエトセトラエトセトラ。何も見失ってない、むしろ風通しも見通しもいい。何よりとにかく機嫌がいい。顔や身体の線がどんどん変わってゆく、でもまだもっと行ける。みんなたちの正義は知らない、自分の鉄槌でこなしてゆく。正しさを押し付けたとて捻じれて歪んだ心根や身体には刺さらない。全部に負ける気がしないってこの風ぐるんぐるん。風に憧れたくらいで泣かない、水色に煽られたくらいでめげない、消えない火だって明白だもの。肌のなかも総て詳らかに見せようか、ねえ、綺麗なメガネチェーンが欲しい。

 

泣いても笑ってもカレンダー捲ってもわたしは死ぬまで自分の人生しか全うできなくて、でもそれはみんなそうじゃん。周りに誰もいなくなってもただ自分をやるしかない。そのときにだって音楽はあるし書物はあるし、中指以外を切り落としたりしなかったらこうやって文章も書けて世界を積む遊びだってできる。中指だけになってもやめないだろうけど。やっぱり切り落としとく? 「切り落とし徳」って変換された、徳を削いでGO!

 

つまらないものは要らない、どうでもいいから爆ぜちゃえ。
何言ってんの、愛してる