脆⇔弱

 


自分になるたけ乱暴なことをしてやりたいと思い、でも気づいたらぱたぱたと目から水が落ちてきたから呆れてしまう。自分の感情がうまく読み取れなくて、それが快なのか不快なのかも判然としない。めちゃくちゃだなあとは思った。

頭が混乱しているときに身体だけがそこにある感じが苦手だ。痩せていた時期にさえ骨格がしっかりしているせいで不健康には見えなかったのと同じで、自分がどういう状態にあるのかわからなくなってしまうのだ。


もっともっともっともっと苦しむべきだと思う。こんなのでは甘い、もっと追い詰められてみるべきだ。その壊れかけの境地で鋭く光る錆びた金属のようなものを信じたい、こんな痛みでは苦しみでは到底足りない。壊れるなら壊れてしまうまでのこと、それを超えていかないとわたしは沈んでしまう。たまにこういった方向に意欲を見せるのがよいことなのか悪いことなのかは精査していなくて、でもある種の攻撃性なのかもね。これが他者に向かないことを本当に幸運に思っている。


「そういえばしたことなかった」が大体の行動の理由になっているわたしは、郵便局まで歩いてゆく道すがら自殺未遂をしたいと思いついた。そういえばしたことがない。
「自殺をしたいのではない、自殺未遂をしたいのだ、自殺の失敗としての自殺未遂ではなく自殺未遂目的の自殺未遂を行いたい」と言ったら、「死ぬつもりがないのなら自傷ではないか」と返されて、なるほど、自殺未遂というのは自殺を完遂できなかった場合のみに到達できる境地なのかと感心する。

それであるならば捉え方を変えるとして、「下手すると死んでいたのではないかという程度の自傷を上手に行い死なずに済ます」というのはどちらにカウントされるのだろうか、とまあ、このようにぺらぺら考えることが楽しいわけで、別にわたしは何もしない。悪魔の証明のようなこと、未遂を完遂する手立てについて。したことないことしてみたい、見たことないもの見てみたい。

「みんな生きるのが好き? 死んだことないから」

 

 

 

:::

 

 

 

起きたら始業時間を超えていて笑った。正直なところもうどうでもよかった、しばらく横たわっていたけれど、結局のところ出社した。電車も空いているだろうと思ったら遅延でもあったのだろうか、ぎゅうぎゅうにひとがいた。毎日潰されて何をしているんだろう、とも思う。タカノのモンブラン

 

小林賢太郎引退の報、致命的に取り返しのつかないことをしたきぶんになってとても哀しい。全部失われてゆく、全部過去になる、そう思ったらまた足元からぐらついてきてどこにいるのかわからなくなってしまった。

 


蟹座は記憶力が良い星座、と言われているらしいと最近知った。記憶力がいいかは自信がないが、持ちきれないくらいの過去に潰されそうだと思うことはある。甘い過去に何度も潜るせいで現実は酷く乾いている。痛い過去に何度も潜るせいで何度も新鮮に傷口が濡れる。

蚕のようなイメージ、自分で自分を閉じ込めているような。このまま湯がかれて死んでしまえたら絹でも採取できるからまだ美しさもあるのだろうけれど、半端に成虫になったせいで何度も破るから価値は暴落、飛べない飲めない食えない短命な。まどろみのなかで繭のなかを思い出して、こうなっては外も内もそう変わらないのじゃないかしら。

 


ところでこれは、Love in December。

 

「ええ、これが愛よ。12月の終わり、しんとした夜つんとした星、月曜日から日曜日までここにいるの。だってあなたは脆いから、そして私は弱いから。」

「心配しないで、そばにゆくから。全部平気、あなたはきちんと私を知っている。心配しないで、そばにいるから。もしもあなたが落っこちそうになったって、私はちゃんと捕まえるもの。」