ロングかはーダイエット


書くべきことを書くべきところに書かずに吐き捨ててきたために数年分の思考が大変追いづらい。吐き捨てながらじゃないと思考がまとめられないとも言う。身体を楽にしているつもりでも、いつも修羅のような立ち回りでバランスをとっている。


ネイキッド! 簡単に裸になれるよ。
服を脱いでと言われれば脱ぐし、そもそも言われる前に自ら脱いでいる。秘密らしい秘密を持たない、特に気負いなくぺらぺらと話してしまえる。それは時折ひとをギョッとさせているらしいのだけれど、事実なのだから仕方がない。
なんだって話せるから、何も伝えていないことにほとんどのひとは気づかない。裸になったところで肌を晒しただけに過ぎない。過去の列挙をしただけ、そんなものは文庫本の背表紙のあらすじとあまり変わらない。それでもひとは、自分の本を一行目(あるいは献辞)から話し始めることがある。不快ではない。ただ、何が起きているのだろうか、といつも首を傾げてしまう。あなたが脱ぐ必要はないのに、へんなの。
大幅に中略をするためにややこしい話になってしまうけれど、脱ぐことによって生じる何かに無自覚的なまま脱いでしまうひとのことを、おそらくわたしは恐れている。

  

 

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いつもより一本前、小さな橋の手前、たしかコンビニを行き過ぎる手前の信号で渡って、そのまま欄干にぶつかるかたちで見慣れた川の反対側を見た14時。知らなかった緑を見て、まだ見てない世界が本当にいくらでもある、乱暴な視界になっていたな、と思った。
あらゆる建物で待合室の席数を減らしているから、必然的に屋外に列を成して待つこととなる。この狭い道路沿い、自転車がよく通りがゆえにさほど間隔を開けずに並んでいた。暑いばかりで参るなあと思いながら、この夏どのように地下を駆使するかを算段する。
いまわたしの目の前を通り過ぎた女性は髪をひとつに縛っていた跡がついている、わたしもきっと同じくだ。今日暑かったね。


毎日目にする看板があって、そこには「小児心療内科」であるとか「思春期内科」であるとか書いている。以前は見かけるたびにざわつくものもあったのだけれど、それもすっかり忘れていた。でも橋の向こうの緑がきらきらして見えたために、ざわつきもいっそううるさく、かつてわたしの脳だか人格だかを表す際に用いられた単語のことを思い出した。どうせ崩れたあとのものだ、やすやすと積ませるものか、あるべきかたちに崩れておけとまでは言わないけれど、元々崩れていたわけで、まだ崩れているわけで、どう崩れたっていいし、別に好きに積めば? と淡々と思考を積んでいた。仮にどんなに積んだとしても崩れた過去自体は消えないし、そのこと自体を哀しいとも恥ずかしいとも思わない。あと、心を癒す内科ってなんだろう、とも思った。

 


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「欲しいもの」について考えている。
例えばメイソンピアソンのブラシ。大切に手入れをしながら10年先も使いたい。一度髪を通したことがある、あの瞬間からずっと欲しい。
例えばちょっといい日傘、サンバリアや芦屋ロサブラン。日傘どころか傘をさす習慣もないけれど、涼しいと聞くしね。でもGW前にはいい柄売り切れるって今になって教わった。
意外と浮かばない。小さい頃から「何が欲しい?」と聞かれても上手く答えられなかった、遠慮ではなく何も浮かばないのだ。「欲しいもの」のことを考えるのは難しい、わたしはいま、例えばとっても欲しいと思える服が欲しい。

 


・朝起きたらすっと身体から抜けていることがわかって、おや、と思った。

・ちくちくと焼かれる痛みは望むところではないけれど、機械がオーバーヒートしないように冷やされた清潔で明るい室内、一定のテンポでピピピと鳴る電子音のみの沈黙、全裸の肌に隙間なく這わせられるレーザーといったインダストリアルな雰囲気は結構好き。

・西口や南口の人通りを眺めながら、わたしもひとではあるのだが、有機物。enough for me is not much for you以上に口ずさみたくなる英文を知らないかもしれない。もちろんHeartbeat。

・書いてある本によって揺れることさえある彼の星座を正確に知る必要があると思い、ホロスコープを見ていた。インターネットで細々と記事を探しながら少しずつ読むのは得体の知れないものを解いてゆく喜びがある。

・わたしはきっと賢くもなければ愚かでもない、凡百のにんげんなんだろうな、と乗り換えながら思った。ただ直感だけはいい。賢くも愚かでもない自分がひとによって極端にどちらかに見えるのはきっとそれのせいだ、なんていうのを、乗り換えている間に忘れた。

・6月が来ました。