世界の果てには君たちと全部忘れてしまう

 

薔薇を見に行こうと思いたくさん植えてあると聞いた公園に行ったけれど、既にほとんどがしおれていた。もう6月半ばだし、晴れも続いているし。品種名と簡単な特徴を伝えるプレートがたくさん刺してあって、くちゅっと茶色くなっている花がどんな色だったのかを想像して遊んだ。よく晴れていたため暑くて、自販機でカルピスを買ってすぐ木陰のベンチに逃げた。カルピスを買ってから隣に三ツ矢サイダーがあったことに気づいてちょっと悔しい思いをした。

木陰では小さい子どもを連れてピクニックをしている家族らしい4人と、小さなテントを張っているひとと、バトミントンをする男女がいて、水場では小さな岩の上にびっしり並んだ亀が日向ぼっこをしていて、鯉は軒並み黒くぬらぬらしていて、わたしは自分の身体だけがそこにあるような気分になっていて、切るのを忘れた足の爪を思った、「思った」くらいだから身体以外もそこにあったのだろうとも。でも脳も身体の一部ですから。

 

ひとことで言えば審判の逆位置というところ。総てを白紙に戻して、美しく再開できると思ったのだ。もらった名前をただ抱き締めたかった。輪廻転生させるなんて人知を超えた遊びみたいで劇場版ドラえもんっぽくて素敵だったね。だけど残念、ここは不毛の土地。植え方もわからない、ただ美しくありたかった。


「ああ、もうあたしの一生は幸せばっかりしかないのだ」

世界が終わる中で精一杯恋をする男女の漫画を読んで過ごす。わたしには好きなひとがいる。そのひとは見えないところにいる。会えないところにいる。一人一途という曲が好き。

ベッドシーツをそろそろ夏物に替えようかしら、梅雨らしい梅雨が来ないせいで思ったよりも寒くない日々。もう6月も折り返し。カードを切る仕草だけが少しずつうまくなってゆく。それでもカードはしょっちゅうジャンプするから何か言いたいことがあるのかと耳をそばだてる。シーツがただぬるい。好きな漫画はと聞かれてうまく答えられない。わたしの話を聞いているふりをしているのを知っていて道化をし続ける、わたしはあなたの名前を知っているけれどあなたはわたしの名前を知らない。

 

 

即物的なにんげんでごめんなさい。シャトレーゼの中でやっぱりラーメン食べようかって笑いかける。器用さがない、断絶していてうまく連続しない。明日世界が終わるってわかったらわたしは何をしよう。お気に入りの歌集を持ち歩きたくて電子書籍で買ったけれど全然読む気になれなかった。精神も肉体も嫌だ、言葉も物質も、情熱も感情も。もっとひとりで完結してひとりで閉じてしまいたい。深く結んで海に放り投げられたい。誰にも何も言わずに、全部抱えてその抱えた全部ぜんぶを本当にしたい。

 

忘れたふりして全然傷つき続けている、傷ついたことを叱られたってどうしようもない、第一傷ついている自分に苛立っているのはわたしだって同じだ。

20代に入ってもしばらく、口紅を塗ることが出来ないでいた。わたしの唇は太いから、色を塗って目立たせるのは怖かった。必要なときは諦めたように肌色に近いやわらかい色を選んでいた、顔を汚しているだけだなと思った(今思うとちっとも似合ってない色だから仕方ない)。
あるときキツい赤を選んだら妙に自分が堂々として見えた(その色が似合いの色だと知るのは数年後、パーソナルカラー診断を受けたとき)。それからようやく口紅を塗ることが怖くなくなった。

「キスしたい」と言った相手に会う日、会う前に紅を引きながら何度も深呼吸をして緊張を誤魔化した。唇の中央に置いた紅を指で塗り拡げて着彩した、そのとき使った指がどれかはここに記すまでもない。