旗を掲げてなびかせて

 

まともな言葉で語らい合うひとびとを眺めていて、とにかくここから逃げたいと思った。
まともな言葉がどうにも身体に障る、誰が誰の口で誰と話しているのかわからなくて混乱する。自分の言葉は少しおかしい、そういうことを忘れていた。

最大公約数的な言葉で話すことにほとんど、いや一切の興味がない。

「詩人だね」と冷やかされるたびに笑って返すが、詩はもっとちゃんと技巧を駆使される作品であるわけだから、常日頃から詩を口にしているわけではない。こんなのはただのわたしの話法の癖に過ぎず、自分でこういう話し方を選んで喋っている。技巧も何もないきわめて素直な在り方として。

 

わたくしにとっての言葉というツールについて。

そもそも言葉に書きたくなるものがひとによって違う、という前提をまず見直したほうがいい。思考や価値観の表明に使うよりも、例えば夏の死にたさ、五感がぶれるほどの感情、澄んだものの暴力性、そういったものについて書きたくなる。そして言葉がいかにあてにならない不足の多いツールであることか。

他人に受け取りやすい言葉を話す必要を感じない、まるめた最大公約数の言語では自分がのらない。そんなものを伝えようとして何になる。わたしは血の通ったあなただけの言語を聞きたい捉えたい、カマトトぶんなよ、あるいは楽をするなよってもどかしくなる。とはいえ、最大公約数的な言語で話すひとに対して恐怖やおぞましささえ覚え始めたのは、さすがに神経が過敏になりすぎているけれど、それならいい、尖っているものは大事にすべきでこのまま行く。

 

わたしにはこういう話し方しかできないし、これでは話ができないというのならもう冒頭からのミスマッチ。わたしもあなたの言葉がわからない、だから何も問題がないしとことんまでどうでもいい。わたしはここに立つ。

自分でも自分が何の話をしているかなんてわかっていない、こうやって書きあらわすことはその瞬間のスケッチ、きわめて粗くかたちどるデッサン、少なくともわたしはそうやって使いたいからこのように。言葉というツールは酷く不便だ、シャッターを切って焼きつけるように使うのが性に合っている。一瞬の発露でしかない、でも一瞬だから無責任であっていいわけがない、焼きつけてしまった一瞬をきちんと自分と呼ぶ覚悟は持っている。わたしはいまここにしかいないのにさ、ちゃんとその責任は取るから。

 

言葉を頼りにコミュニケーションをやるつもりがない、というふうにまとめることができるのだろうか。足がかりにするには酷く不確かなものだと思っている。語弊がないように探す作業は怠慢してはいけないけれど、同時に自分のいないものを書くのも嫌だ。抽象的なことなんてひとつも言っていない、わたしにとって具体的に見えているものの話をしている。

 

もうえげつなく言葉から逃げたい、あらゆる方向からばこばこばこばこ否が応でも洪水のように襲ってきて、げえげえ吐いて藻掻いている。あらゆる言葉を吸収してしまって酔っている状態に近い、悪い言葉にすぐあてられる。とにかくこういう気分のときはいけない、頭がはちきれそうになって怖い。アンテナがばかになってしまって受信し続けて疲弊している。自分に振り落とされてしまいそうだから、せめて物語でも書いたらいいのかもしれないけれど変に萎縮してしまって、自由な噴水のきらきらをやるべきだ。

早く唖になりたい、総ての言語を排斥したい。定期的にくる逃げたさがまた来て夏に至ります。夏にはとにかく気が狂う。ノーアスペクトのネイタル水星にトランジット太陽がコンジャクションしているというのもありますか。そんなこといったら夏至のたびにそういうことになりますが。

 

ああ、もっと真面目に楽器やっとくんだった。言葉から離れて何か作らないと本当にいつか気が狂いそう。せめてダンスとか演劇とか、とにかくこういうときは身体性に振ったほうがいいのだろう。ああ、香水売り場に通っているのも身体性への逃避かもしれない。言語で声明される香りと、実際に嗅いだときの体感の差異。あてにならないことを知っている。

みんな言葉に食い殺されそうなときって何して紛らわせているの?

 

わたしは、話すのが得意じゃないから、とにかく目が回る。わたしが言葉を探している間にみんなもっと先の話をしている。

言葉そのものなんて見ていない。投げ込んだ言葉が作る波紋を見ているし、あなたに投げ込まれた言葉で生じる波紋を見せたい。そうなると言葉である必要さえない。

わたしにとって言葉は身体的なものなのかもしれないと仮定する。手を繋ぐように殴るように見つめ合うように歯を突き立てるように。表面なんてどうでもいい、言葉では到底収まらない、スマートじゃないスムーズじゃない、こうやって嘔吐するわたしの口元を見ていて欲しい。願わくば、呼吸が上がって上下する肩がなだらかに落ち着くまで。