カルディアンオーダー

 

6も28も完全数だから並ぶと嬉しい。数を並べて喜んでいたら、星も並ぶと報。

カルディアンオーダー通りに並んだ惑星が関東で観測できるそうで、それは非常に貴重なことらしい。午前3時半から4時までの間と言う。その日に不慣れなことをする予定があったからとにかく必死こいていて、ゆえに当然起きていて、ゆえに当然パジャマのまま飛び出した。夏至もすぎた薄ら明かりに剥き出しの太腿で、ビルの切れ目を探して歩く。低い位置にいた水星と月は見られなかった。そもそも新月を翌日に控えているので難しそう。肉眼だったので海王星天王星もダメ。それでも金星と火星と木星土星を見ることができたし、金星と火星と木星は同じ視界に収まった。

そしてその更に3時間後が今年のわたしのソーラーリターンだった。自分が眺めている空の、3時間後のホロスコープを眺める。見慣れてきた図の円は、ちゃんと空の話なのだと思った。今年は激しく出入りを繰り返し、外気を内側に持ち帰る雰囲気がありそうです。反復横跳び。

 

 

記憶は決してわたしを甘やかすものではない、厳しく苛んでくることも多い。それはわたしが墓標であることとも無縁ではない。胃に落とした果物の墓標、胸中に抱く亡くなった者の墓標。物質は失われる。頭のなかのものだけは盗まれない。そうして気づいたら墓標になっている。知恵と記憶、経験。身体と頭にあるそういったものが結局自分で、最後に身を助くものであり、滅ぼすものでもあるのだろう。

 

懐妊、という言葉。わたしはたくさんのものを孕んでいる。あなたのこと、あなたのこと、あなたのこと。胎に写し取ったあなたが揺れる、ここにいる、と思う。そのとき手を当てる部位は子宮でも心臓でも頭でもどこでもよくて、わたしはどんどん不純になってゆく。それでそう、ここは澱。

 

自分の誕生日に梅雨が明けていたのって初めてだったかもしれないな。空梅雨でしたね、雨の歌を聴く暇もないほどに。今年は、今年こそはレインコートを買います。

 

 

www.youtube.com