這いつくばって真実を得ろ


ブログを書こうと思ったら雨が降り始めた。「前回の記事を書いてから何をしていたか曖昧だが、時間が空くほどだとは思わなかった」といった感じで書き出そうと思っていたが変更となったね。
愛知から帰る途中でブログを書いた、そしてこの記事を書くまでの間に仙台に弾丸旅行をし、また埼玉と東京の境目でぼうぼうしている。フットワークが軽くなったなあ。



仙台空港に行った。被災地、である。仙台空港駅に向かう途中、車窓の景色を眺めていたらどんどん消えていった。途中までは「都会から田舎へ」といった具合で家が減ってゆくのだけど、ある一点から、9割草木で1割の家屋は新しいものばかり、となった。ここからか、というのがはっきりわかるくらい。いやいや空港の傍だから家が少ないだけかもしれない、とも思ったけれど、結論としてそんなことはなかった。
空港駅で降りたらタクシーに乗れ、と聞いていたのでタクシーに乗る。立入禁止区域などが難しいらしい。加えてその日は30度を超える真夏日で、荷物を持ったままでは何かと辛い温度だったし、素直に従った。運転手さんに金額を伝えて、それくらいでぐるりと回って下さいとお願いした、快く引き受けて下さった彼は宮崎さんとおっしゃった、朗らかで優しい方だった。

残ってる家屋は1軒だけ。古い日本式家屋、立派な瓦葺の屋根。しっかりと建っていたけれど1階部分の中身はまるっとなくなっていて、初めからそう作られた舞台装置のような感じ。ぶら下がっていたアンテナの語る生活感。あとは積み上げた瓦礫と同じ方向に倒れ曲がった木々や金属などを紹介して頂いた。何も言えないのはきっと寝不足だからだろうなあと思いながら、シャッターを切るでもなく、完璧に完全に微塵も干渉ができない土地のだだっ広さ。
紹介頂いたものではないのだけれど、駅の傍に、塀のない、規則正しく並べられたわけでもなさそうな墓石群があったのがいちばん印象的だった。津波の被害者のものなのか、元々あったものなのかはわからないけれど、何もない・作れない土地にも墓は建つ。灰色より黒い墓石が多くて、その日の暑い天気の中でつるつる光っていたのが遠目に眩しかった。


仙台空港駅から仙台駅まではアクセス線で30分ほどだったけれど、その途中うたた寝をした。仙台駅で「いま乗ってきたようには見えないけど、また空港に戻っちゃうよ」と乗ってきたおじさんが起こしてくれたので、やっぱり寝不足だったのだなあと思い、むにゃむにゃ言いながら商店街に入る。ふむふむと地図(を表示している端末)をひっくり返したりしながら牛タン屋でランチを食べる。噂には聞いていたずんだシェイクを飲む。甘くてどろどろしていた。眠たくて仕方がない、自分の身体のずるずる感と似ているなあと思った。



被災地は、せっかく東北に行くのだから、と見に行ったくらいだし、それを長々とブログに書き付けるつもりもなかったのだけれど、書いてみたら分量が。そりゃあ、ずんだシェイクの話を長々と続ける方がよほど難しいけれどもサ。

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仙台に向かう前日、東京駅にいた。少しこんがらがった気分でつらつらと歩いていた。イメージのことを考えていたのは覚えている。
昨日か一昨日、懐かしい友人からのメッセージが届いた。「東京駅で都さんを見掛けました」とのこと。彼女とはもう3年以上会っていなくて、その間に前髪は顎下まで伸びてセンターパートになったのだけれど、「見掛けました」という迷いのない言葉!「もしかして東京駅にいましたか」ではなかった!

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昨日、というかつい6時間ほど前まで、pegmapの5年振りワンマンだった。どっぷりと色々なことを思い出す時間が取れたような気がして嬉しい。
途中で思い出すこと考えることがぽんぽんと浮かんで、目が潤んだことにびっくりした。