貧乏性の賜物

結局のところひとと話す代わりに手を動かしているのだと今更ながら気づいてきた、口か手かどちらかを動かしている。ひとがいなければ自分のなかで言葉をマワしているだけの話であって、口を開けば指はすぐに黙り込む。昨今ひとと接しすぎていると思っていたのはきっと間違っていなかった、適切にひとりでいないと自分の中で煮詰まった言葉で息が苦しくなる。指を突っ込んでも吐けないのだと泣きぐずるように、鍵盤の上に指をおいて硬直する羽目に。動かない指先は冷えるばかりで、今日みたいな雨の日には痛くてどうしようもなくなってしまう。それにしても窓際においた机では震えてしまって作業がままならない、ひどく結露している。

 

ここ数日身体に不自然な異変があったのでちょこちょこ触ってみたらなぜだか幾分か修整されたらしく、電池を入れ替えた体温計を咥えながら苦笑した。機械じゃないんだから。

 

いくつか昔話を思い出したのにどれも上手く指から流れないので、どうにも晒されることを恥じらっているのだとわかった。指は口より恥じらいがある、自分の考えていることはいつも指が教えてくれる。
頭と指が別々に動く、何も考えなくても文字が並んでいる。この感覚を取り戻したくてここ最近躍起になって書いている節がある。感情を動かすだけで言葉が並ぶのは見ていて気持ちがいい。リズムだけがここにあって、ほとんど即興のダンスと一緒。これらは総て足跡だ。機械みたいだって?

 

眠たい状態を人目に晒すことが酷く恥ずかしく、泊りがけで遊んだあとに恥じらっていたよと報告されることはより恥ずかしい。それでも半分眠りながら文章を書くのは結構気持ちが良くて好きだ。そういうのを読んで自分が何を書けるのかを知る。

 


というわけで、遠くない昔の自分をいくつか読んできたのですけれど、自分が思っている自分の匂いが強くて驚いて帰ってきた次第です。眠りながら書いた文章までとてもじゃないけれど辿り着けなかった。あのペースで感傷を連発しているさまは、ほとんど水没状態だったのでしょう。言い回しが洒落てて、どこでそんな言葉覚えたの? そしてどこで忘れたの? と思いました。書いた覚えのないものばかりなので、とにかく数を打つと指が学習をするのだなという実感です。やっぱりわたしは頭を使っていないみたい。
頭を使って書いたもののことは、なんというか、恨んでしまうかもしれないな、とも。悩みすぎてしまって正解を失う、働かせたところで頭はあまり良くないからただ空回って終わってしまう。力が入っているのが目に見えて大変に恥ずかしい。

 

田中先生が褒めてくれたときから、読書感想文が書けなくて泣いたときから、絵より文章のほうが楽しいじゃんと思ったときから、たくさんの勘違いと思い上がりの連続で、今日に至るまで平然と書いている。作文を苦にする気持ちが一度もわからなかったというだけで、例えば絵なんてちっとも描けない。あなたの書くものは面白い、と言ってくれた大人がいたことを考えている。動けなくても指だけは動いた日々のこと。仕方がない、わたしもにんげんであるのだ、こうやってバランスを取っている。簡単に時間を潰せる手段はこういう日々にすこぶる強くて、やっぱりわたしは運がいい。

 

だらだらと書き始めて筆を置くまでが大体1500−2000字くらいの間らしい。冗長に過ぎる、放っておけばぺらぺらと喋る。品性など微塵も感じないが、しばらくはそれを是としましょう。誰に見せるわけでもない場所があってよかった、誰が見ているかは知らないけれど。

 

 

ラブビデオもしかりだけれど、岡村ちゃんが歌うことを考えてこの歌詞をつけてこの割り振りにした小出、本当に秀逸。爽やかで粘着質で純粋で気持ち悪くてかわいくて、ラブソングかくあるべし。だいすき。

 

「季節とは君のために用意された絵の具なのさ」