「君の文章じゃないね」と彼女

お風呂上がり、バスタオルを引き抜いたのと同時に「絵画の女になりたい」という言葉が脳の奥から転がってきた。口にしたことのない言葉の真意を探ろうと思ったけれどどうにもわからない。ただ、絵画に描かれているような裸婦なり美少女なりになりたいという意味というよりは、絵画のようになりたいという意味である、らしい。深く考えてみようと思ったけれど、もうその気持ちも思い出せない。言葉だけ留めておけばいつかまた辿る日が来るかもしれない。

 


いつか今日を辿る日が来るのだろうな、と初めてはっきり感じたのは年長のときだった。6月1日。初めてのピアノのレッスンの日。「今日が6月1日だったことを、きっと一生忘れないだろうな」と幼心に思ったし、そんな感情が芽生えたことも不思議に思った。そして実際に今日に至るまで、特に思い出すわけでもないが忘れもせずに覚えている。


練習を怠惰する子どもで、それを叱る先生ではなかったために、ピアノは一向にうまくならなかった。小学生に入る前にバイエルを終えるような子もざらにいるなか、わたしは中学生だかになってもまだバイエルを終わらせる気がなかったし、先生もミスしながら弾いた練習曲になあなあに丸をして次の練習曲へとページを繰る。
バイエルのような基礎練の教則本と並行して、実際の曲を練習する教則本もあり、こちらはバイエルよりは遥かにスムーズに進んだ。発表会などに向けて弾く久石譲ばかりが楽しく、いつも楽しく気持ちよく弾くことばかり考えていたから基礎なんて後回し。上手く弾けるようになるのが楽しいので好きな曲ばかりはきちんと練習したが、ゆえに基礎が必要なクラシックの曲はこれっぽちも弾けなかっただろうし、そういうわたしのことをよく把握している先生だったから譜面を渡されもしなかった。
わたしが渡した譜面を見ながら「本当ならバイエルレベルでは弾けない曲なんだけどね」と彼女、「バイエルなんて終わらなくてもいいじゃん、それより弾きたい曲があって」とわたし。初級の教則本などいい加減終わらせたかっただろうに、先生という立場もあったろうに、そんなものは最後に回してくれるひとだった。練習ができない心持ちになってからもただお喋りをしに通った。意味もなく泣きながら教室に行って、待合室でうつむいて、何も弾けないと言って泣いて、レッスンが終われば教室の脇のトイレで泣き止むまでクロエ聴いて過ごして、携帯端末握りしめて日記を書いて。

ピアノなんて本当はどうでもよくて、わたしはあの防音ブースでいつも気持ちよく過ごしていたかったのだろう。ほら音を出してごらんと、優しく強制される部屋。
そうそう、Summerを弾くのが小学生のときからの憧れで、あの曲聴いて何度も情景を想像したり泣いたりしていたことも、いま思い出した。確か中学生くらいで練習して、それはそれは嬉しかった。もうメインフレーズをたどたどしく追うのが精一杯だけれど今でも大好きな曲だ。ラレミファミ、レレ。昔空想した情景ごと思い出せる。夏の清潔な早朝の空気。

 

 

今夜は12年前の誤字を直したし、13年前早朝の下北沢に寝そべっていたときの写真も見つけた。文字の正誤も重力の向きも、何もかもをわかっていなかったのです、そしてそのままそっくり今に至る。だから今日もこれから、地面と平行の体勢で「公開する」をクリックするのだ。

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