悪趣味の色水


「静かに黙って抱いていて、いま吸った酸素が爪先に届くまで動かないで」、と、書いてあるメモがいちばん上にある。昨日、「

と書いてあるメモがいちばん上にある。”昨日、「”の4文字だけ打ってなぜ手を止めたのかがわからないが、ああ、そうだ。友人に「君の文章じゃないね」と言われた話でもしようとしたのだろう。それなりにショックではあるけれど、大丈夫だ。誰がなんと言おうとも、誰かの劣化コピーに過ぎなくとも、これはわたしの文章だ。不安定になる必要はない。本当に? うるさい自問自答など。本当に? うるさいなあもう。
書けるなら、つい2−3年前のように書きまわりたい、とは思う。でももう全部忘れてしまった。どうやって指を踊らせていたのかも思い出せない。昨今はこういう具合で踊っているから、もうそれでいいじゃないか。本当に? 受け入れて進んでゆくしかないのでしょう、信号は青ですのでわたしは進みます。あなたは立ち止まっていても構いませんよ、でもわたし、進みますからね。ねえ進めてるよね?


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食が細くなったことを嘆いたが、助かっていることもあって、歯を磨くのがかなり楽になった。歯ブラシを突っ込むと嘔吐反射が出てたびたび吐いてしまって元の木阿弥、日々拷問でも受けているのかという醜い声を漏らしながら歯を磨いているのだけれど、その頻度がぐっとさがった。憑き物が取れたように最近普通に磨けている。嬉しいなあと歯を磨きながら、また草の陰。
そう、これは君から貰った嘔吐反射だ。もともとわたしはそんなに嘔吐反射が酷いほうじゃなかったのに、君と入れ違いで歯を磨くときに吐くようになってしまった。そのことに気づいているのはたぶん世界でわたしだけ。君がわたしの身体にかけた、最後であって唯一の呪いが嘔吐反射だった。ごめん人聞きの悪い言い方をしたね。きっとわたしが自分で君を残そうとしたのだろう、勝手にだいぶ苦しんだ。
歯科衛生士は「後天的なら精神的なものかも知れませんね」と言って、本当はわかっていたよ、と思った。その言葉を掛けられて以来、派手な嘔吐反射は出ていない。もちろん今でも苦しいときはあるけれど。
こんな風に、君の名残を拭ってしまっても、いいのだろうか。いいえ忘れない、忘れないから、そんなところにぶらさがらなくたって大丈夫。君の苦しかった嘔吐反射を、わたしが引き継ぐ必要はない。本当に心の底からそう思えたら、この厄介な反射も収まるのだろうか。
君は淋しがり屋だったから、あるいはこういう細部に存在を残したいと思っているかもしれないね。大丈夫だよ、絶対に忘れないよ。この部屋には君の書いた原稿がある、この世でわたししか持っていない短い戯曲たち。わざわざ原稿用紙設定で、神楽坂のセブンイレブンで印刷したこと覚えてるって。
それにしても最近よく君を思い出すけれど、と書いて筆を止める前に思い至った。君に初めて会った日、4月20日だ。そうか、この季節だった。なるほど神楽坂のほうの記憶ばかりなわけだ。

 

と、書いてあるメモがいちばん上に。つまり、以下日記です。


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きちんと大切にすれば失くさない、というシンプルさをわたしは信じています。大切にしていたって失くすときは失くすとはいえ、大切にしなければ必ず失くすのだ。神に寵愛された女も最近そう言っていた。
拙いことをしているなあ、と思う。とはいえ、往々にしてこういうのは拙いものである。本やCDを貸し付けあって、いいよねってにこにこ笑ってて、相手の頭にシロツメクサの冠を載せるのと行為としてはさほど変わらない。巧くなる必要は特にない、特にないけれど、世界はそんなに美しくできていないし、冠もいつか枯れるって? 頭をつかえよ、ドライフラワーって知ってる? わたし知ってる、大人だからね。大人は高いところに手が届くので、安全なところに出来上がったドライフラワーを飾っておけるのです。風通しもいいでしょ?

 

 

歌集を数冊並行して読んでいたらそこにある祈りの光量にあてられてしまった。無邪気に笑う大きなにんげんたち。処女懐胎のようだな、とも思う。誰が言葉とセックスをしたって言うんだよ、そう思ったらこの世の総ての文章は処女懐胎の賜物だな、と思えて目が回りそう。聖なるかな聖なるかな聖なるかな


紀伊國屋の詩歌コーナーに行きたい。閉まっている紀伊國屋ビルを見たとき、他のどんなデパートが封鎖されているのよりショックだった。書物が手の届くところにないことがこんなに哀しいんだと知った。あの、棚の前に立っているだけで泣きたくなる何か。空から祈りが、思いが、光が、わたしの存在とは関係なく降り注いでくる感覚。あれを定期的に浴びないといけないらしい。そんなに代わり映えするわけではない棚の前で立ち尽くしたいのだ。廃刊の歌集が欲しいという無茶な要望にも粘り強く答えてくれた紀伊國屋がないことは、わりと不安である。でも大丈夫、ここにはまだ書物があるから。まだある。まだまだある。

 

 

ここ数日は七尾旅人の初期作、というかオモヒデ オーヴァ ドライヴとヘヴンリィ・パンク:アダージョをよく聴いている。こんな幼く甘い声だったっけね。

 

部屋で待ってて。
あと少しでつくはず。
タオルケットにくるまってて。
おかしな不安はいらない。
少し落ち着いたら海へ行こうね。
うつべき手はうったよ。
それは鮮やかな仕掛けだよ。