光ははやいよ


200424(Fri.)

 

寝起きから思ったように体温が上がらず寒い。前日の夜、久々に体重計に乗り数字を確認してちょっと動揺していたのは確かだ。
昼食にサラダでも買おうと入ったコンビニで、食べたいもの食べられそうなものが見当たらなくて、気づいたら食品コーナーの前でほとんど泣きかけていたものだから、一気にふさいでしまってダメな昼を過ごしていた。

体重、思いがけず減っている。見た目にはそんなに変わらないけれど、一体どこの肉から落ちているのだろう。おそらくただでさえ細い筋肉が一層痩せたのだろう、それはよろしくない。眠れてないじゃんとか周期めちゃくちゃじゃんとか芋づる式に不調を思い出して、ミラーボールの下に行きたいと膝を抱える。

 

ミラーボールが回っている間はわたしもずっと円滑。光の鱗が空間を撫でつけながらぐるぐる回るたび、「遡及」という言葉をいつも思い出す。わたしにとってミラーボールは、頭のなかで淡く記憶を照らながらゆるやかに混ぜ合わせてゆく特別な装置。ミラーボールが回っている間は、過去も未来も全部ぜんぶ現在にぎゅっと集まって、わたしはミラーボールに照らされた/照らされる瞬間の自分にアクセスできる。あれは賑やかしのパーティーグッズなんかじゃなくて、なんかこう、とにかく大切なもの。それはそれとして、歌舞伎町で週2でミラーボールを回す仕事に従事していたのは楽しかったな。


ミラーボールの下に行きさえすれば、わたしはすぐに全部が大丈夫になる。だから、ミラーボールの回る場所に連れて行って。できれば大きい音で音楽も鳴っているといいよね。そうやって欲が出てきて、また溜息沙汰。おとなしく大人の科学でも組み立てて過ごすが吉。

 

 

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0120に電話をかけて華麗にお問い合わせ、含み笑いの先方と社用メール同士でメールしてから放り込まれた修羅場をしゅららっと掻い潜り、電話の3時間後には「やあ偶然」。

近年さすがに訪れることの少なくなった竹下通りでハンドソープとsavex5つ、缶チューハイを買って渋谷にくだった、無人のスペイン坂の辺りで小雨。写真を撮ったばかりで握ったままのiPhoneの液晶の水滴が少しずつ大きくなってゆく、「黄昏てんの」「そう、黄昏てんの」。駅につく手前で空になる缶。光とか金属とかスピードとかの話、つまり半分仕事の話をして、最後に腕をぶつけ合わせて帰路、ずっと座れる不自然な電車。久し振りに21時過ぎまで外にいたなと思い、日々寄り道ばかりしている自分を既に忘れかけていたことに驚いた。

 

思春期的な物心のついたときから渋谷が苦手だ、とにかく苦手なのだ。初めてHPを作ったときにもプロフィールページに「渋谷が苦手」と書いた記憶がある。ひとりで歩いて散歩しているとどうやっても骨の髄まで吸い尽くされるように不自然に疲れ切ってしまって、途中で抑うつ状態に入ってしまう。這々の体で辿り着く乙の前あたりの路上に数時間座り込んでは落涙することだって何度もあった。

O系列とかWWWとかクワトロとかその他諸々なくなったら困るから駅前と限ることにしているけれど、「渋谷を燃やしたい」というのは口癖のひとつ。2018年にも「かれこれ15年くらい渋谷燃やしたい」と書きつけてあるのを見つけた。ちなみに道玄坂だとか円山町だとかのほうに抜けると途端に元気になる、歓楽街から滲み出した情念が坂を滑り落ちて駅前に溜まるので、それで具合が悪くなるのではないかと踏んでいるよ。

 

燃やすものがないと暖まらない。いまの渋谷は燃やしたいとも思えない。ひとがいない街に煌々と光るヴィジョン。広告なんて誰も出してないから、デモンストレーションみたいな映像と都知事が交互に映っていた。目の前を通った笹塚行きのバスには乗客がひとりもいなかった。

 

ミラーボールさえ回れば全部解決しそうなんだけど、解決しないと回らないんだって。けちんぼ。