押えつけてジッとしているだけでやっとの状態です


「ちゃんと全部言ってね」と言われると途方に暮れてしまう。自分という箱の中にあるものをひっくり返すことは容易だけれど、それをどうして欲しいのかを口にすることができない。去年の今頃も同じようなことでのたうちまわって日記を書いた記憶がある。
思いやりに応えたいし、わたしだって楽になりたい。それでもキツめの抑制が取れなくて肌の内側でガス漏れを起こしている、引火したら一気に燃え上がって死に至るのだ。言えないも言わないも同じこと、不実に変わりはないのである。

 

不安神経症、これはもう単なる性分だから、あとは宜しくやっていくしかない。とはいえこれのお蔭で何度も命拾いしてきた、断じて憎んではいない。
「不安が強い」と「口に出せない」の相性はいいのだか悪いのだかといった感じ。わかっている、おかしいのはわたしであって、これは全部わたしの問題なのだ。「なんて愛おしい生き物なの」という彼女の声を思い出して、ぎゅっと握り込んでいる。

 

「グレープフルーツちょうだい」の歌詞を書きつけていた。

 

 

 

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wed.

久し振りにYUKIのJoyを再生、スイートセブンティーンまでの流れを2-3周流した。
待ち合わせの場所(ひとがたくさん溢れてる定番の)だけ決めて、服装のひとつも伝えずに向かった。マスクをしていてもすぐにわかって驚いたけれど彼女も同じくだったようで、目が合った瞬間にくりっと目が開いたのを見た。
だらだら歩く10分余りで8-9年の近況報告は済んだ。彼女が今でも彼女であることもきちんとわかった。1軒目、カウンターに伏せておかれた彼女の携帯端末にはクリアーのカバーがかかっていて、内側にはCHARA+YUKIのアルバム特典のステッカーが挟まれていた。ほらね。

 

サッポロ黒ラベル中瓶×2、レモンサワー×2、澪の姉妹品×1、澪×2、ボトルワイン白×1。以上、ふたりで飲んだ量。
相変わらずなのと彼女は言った、そのようだねとわたし。性分はそう変わらない。不感症とか過感傷とか。

 

2軒目に腰を下ろしたとき、持っていた大きな茶色の紙袋の中から花束が出てきて、「おれはイケメンだから花束を準備した」と甘ったるい声で言う、「君をイメージして作ったんだよ」。水色の紫陽花がメインで、くすんだ紫と艶めいた白が入っている花束。花束ってやっぱり嬉しい、どうしたって嬉しい。撮られた写真にはとても嬉しそうな顔の自分がいた。
遠くないうちにまた会おうね、次はキスをしましょうね。

 

 

 

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thu.

紫陽花を見に。彼は綺麗に咲いている紫陽花よりも花びらがくちゅっとしている紫陽花に夢中で、面白いなあと思った。本当なら桜も綺麗な公園だけれど今は初夏の葉。静かに雨が降っていて、ぬかるむことのないアスファルト
いつまでもガクアジサイのことを確信をもってガクアジサイと呼べないでいる、ガクアジサイだと名を呼んだ途端、まあるく花が咲く気がするのだ。わたしだって「どう見たってガクアジサイじゃん」と言ってみたい。どちらにせ綺麗な花。

 

帰宅したら、先述の花束の紫陽花がテーブルの上に鎮座している。また花を買って帰る生活をしたい気持ちもあるけれど、帰る場所がいつも不明で。
到底自室にいなさそうなひとが自室にいるのは変な感じで、どちらかというと突風のようだった。布が大きく翻って、飲み終わったレモンサワーの缶が倒れる。二層構造と謳うプリント、ちゃんと混ざるけど時間を置いたら分離する液体たちを内包していた缶。コンビニでラスイチの。

 


君のイメージは水色~青、寒色だと複数人にバラバラに言われるのが面白いと思う。例えば服なんかは、赤やピンクだって同じくらい着ていたはずなのに。水色の思惑。揺れる在。

 

 

 

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sta.

数ヶ月ぶりにミラーボールを見た。記憶と血がぐるぐると巡る、昂揚する、昂揚する自分は馴染みのある自分であって、結果として落ち着いた。ミラーボールの下は据わりがよい。
いつか行こうと思っていたわけでもないが、行けないと思っていた場所にさらりと行けると嬉しいものね。積み重ねてきた歴史、土地や建物の記憶を足の裏から吸い上げて味わおうとしたけれど、それ以上に煌びやかな視覚情報に翻弄されるのが心地よかった。情報量の多さに潰されていたいよ。

 

 

日記を都度投稿するだけのことがどうしてできないのだろう。日曜日の夕方くらいからまたうっすらと左手が痺れ始めていて、今日は耳下腺が腫れ上がっている。脳みそは色水のなかで、もうすっかりひたひたで。