しあわへつかんじあさゃお

 

この頭に身体に熱を射ってくれ。蝶番のガの音が浮いて聞こえる、ガタガタガタガタ浮き上がって外れかけの窓を風雨が殴っているようだ。熱でないなら麻酔を射ってくれ、もっと曖昧にしたい、もっと曖昧になりたい、意識を保っていたくない。

 

 

わたしはね、どうしたって理性の元に賢くはいられないのだと思う。というのも感情の奴隷となることを是としているようだからだ。ゆえに寄り添うことしかできない。自分の感情にも、誰かの感情にも。

辛い、苦しい、痛いと泣いているのならただそこにいたい。何もできない、魔法の手ではないから触れたって治癒しない、何もできやしない。それでもそばにいたいと思っている。哀しみにあるとき、ただその哀しみに耳を傾けていたい。コットンが化粧水を含むようなイメージで佇みたい。
当然自分の感情にも手が付けられない、なるたけ凛としていることだけがいまするべきことだってわかっているのだけれど、背筋をぴしっとしていようと思ったら早々に具合を崩した。向いていない。吐き散らかしてからじゃないと何も補充できない。醜い、醜いなあ。でも先日と同じ歌詞を引用することしか思いつかない。

「君の悲しいその想いは何も否定しないから 僕は先にヴァルハラで君の事待っているよ」

 

弱音を吐くなんて相当なことなのだろうから、わたしはただ穏やかにおもうことをするだけ。応援しているアイドルは心身を壊したため活休するって昨日の21時の報、崩壊してゆくわたしというひとつの街。腐食を重ねる街。飼い犬とまぐわるくらいしかもうないかもね。「有明けの月」という曲は本当に自分のようで聴いていられない、あいしてる。

 

 

 

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微弱な光量の星々が荒廃した街に灯る、降り注いだりはしない、落ちてきたりはしない、ただ息を詰めている。俯くひとびとの眼に映らなくたってお構いなしにただ共感して瞬いている。最初に肺が冷えて、そのあとにゆっくり回る。指先までかじかむことによって却って詳らかになる鼓動の仕組み。

でも目に痛くない、むやみに闇を浮かび上がらせるような光り方はしない。ただ傍にあって呼応している。そういう星々が荒廃した街には必ずある。どこからともなく寄り添って、星ってどんなに走ってもついてくるじゃん、あんな感じ。優しいね、煩わしい、何も暴かずそこにいる、ふと見上げて発見されるまでただただ在る。

 

 

 

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ただ安心して踊っていて欲しい、わたしはここにいるもの。それならあなたはほとんど新月みたいなものだね、見えないだけでそこにいるもの。

安心したから全部いけないのかな、でも安心してって言ってたのにな。諦めてるよ、「安心したらさようなら」だなんてことは身に染みてわかっているんだ。

 

諦念がひどいのは昔からなのだけれど、そうしないと身を守れないからなのだけれど、大丈夫だよとコルセットの紐を緩められてしまった。退化した身体ではもう自分の体重さえ支えられない。それでもやるしかない。そう、わたしもまたひとりでこなすターンなんだって理解はしている。ううん、いやだよ、深淵とお茶したくないよ。それでも放り出されてしまった。まったくスパルタであることだ。でもこれも「助け続ける」の一環として甘んじて受け入れるべし、といったところでしょう。

こんなだからわたしはいつまでも安心できない、「安心したらさようなら」。安心したかった、安心しても大丈夫だって示して欲しかった、もう随分長らくそれを示してくれる何かを探しているのだと思う。でもまだだめだ、まだ安心するなよ。

「考えないでいてね」なんてさ、君はカリギュラの申し子なのに、もしかして忘れてしまっていたの?

 


こんな言葉はほとんど刃物のようで誰に刃先が向いているのか判然としないけれど、触れれば痛いよ、危ないよ、下ろしなよ。うん、ごめんね、痛いよね、怖いよね。

 

わたしは今この瞬間どれだけ醜いことだろう。自分でも辟易する、開き直るにはあまりに醜い。関わらなくてよかったってみんな思うだろうね。それでもわたしは死ぬまでわたしと連れて歩かないといけない、腑に落ちないけどそういう仕組みなんでしょう。

 

 


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Love in Decemberを貼ったからには、She hates Decemberも。

「壊したくない?壊したい? 棺 白い床が回る」



「壊したい、壊したくない」と言われたことがあった。