レロレE

 

「花火のどこがおもしろいんだろう 星はたぶんそういうなあ」

その星を見たくて、流星群の夜の海辺に行く算段を立てたのにおじゃんになってしまった。結局晴れなくてどこにいても星は見えなかったようだけれど、その雨が流れ続ける間に夏は終わってしまったのだろうか。どこにも行かず誰にも会わなかった、その中で唯一明るかったのは友人の入籍報告だ。失恋して泣く彼女を何度も応援したのが懐かしい、おめでとう。前回の恋人に一方的にフラれて大切なものさえ返ってこなかったこと、そこからの恋で今までになく幸せそうにしていたことを思い出します。思い出したところで、まあ特にやることはないため筋トレをして過ごした。

お風呂あがりにアンチエイジング効果のあるクリームを塗りこめながら、どうしてこんなことをしているのか見失いそうになる。誰もわたしの顔を知らない、皺が増えようがしみが増えようが、どうせ知りっこないのに。


「どうして長い間恋人がいなかったの」という問いのアンサーを折りに触れ考えてみるのだけれど、いまいち言葉が見当たらない。わたしにはひとに好かれる能力が欠落しているのかもしれないし、ひとを好きになる能力が欠落しているのかもしれない。

またここから長い間恋人がいないまま過ごすのかな、とも考える。もうあんな苛烈にひとを好きになる気持ちは損なわれたと思っていたし、損なわれているのなら諦念の性質を用いてやっていく方法もあったのだろう。だけどあった。それが意味すること(意味というのは思考の産物として付帯されてゆくものなのかもしれない、それなら何も考えなければどうなるのかしら)。

抱き合っているだけで嬉しくて涙が出てくるくらい幸せに思えることが、生きているうちに、また一度でもあるだろうか。反語。それは淋しいことですね、それとも生きやすいですか? でも絶対にないと思うことはしない、未来は不定形で色もかたちも変わる。それでも冒頭の問いはわからない、過去もぐにぐにして見えて掴みどころがない。

 

こんな簡単な謎も解けないのに、わざわざ謎を解きに出かけて謎を解いて謎を解くためのキットを買って帰ってきた。
他にやりたいこともあるし、考えたいこともたくさんある、考える意味、意味? 意味がないのに考えたら意味ができてしまう気がする。考えるのを止めたほうがいい。肉焼いて終了、電車も終了。凍えて眠れ。ウォンバットのカード。

 

 

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わたしは諦念の申し子、なぜなら諦めが悪いから。これは排他の関係にならないと思う。わたしの知人友人なら大概、どちらの面も知っているだろうなと思う。諦めが悪いのを知っているからあらかじめ諦めておくのだ。それが味気なくても、あとから望みを絶たれると驚くほど傷つくし治りが遅い。だから何度も諦めて、諦めていると伝えたはずだった。諦めなくてもいいのだと手を取ったりしなくていい、その手を離すくらいなら。

他にも、例えば自分がそれなりに好戦的なにんげんであることを知っている。脅かされることがわかったら挨拶代わりに殴って唾を吐きかけるぐらいは本当は造作もないのだ。好戦的だが怒りという感情が薄いお蔭で大事に至らずに済んでいる。

 

ひとり、決定的に嫌いなひとというものがいる。それとは直接は一度しか会ったことがないし、なんなら挨拶やそれに付随する些細な会話しか交わしたことがない。だけどそれがわたしに寄越した最初の一瞥で身の毛がよだつ思いをした、一瞬で「あなたは格下、相手にする必要がない」と選別されたことがわかった。のちにそれは名前が売れていって、今では否応なしに目に入ってくる。そのたびに嫌悪感と薄気味悪さ、あの瞬間のおぞましさを思い出して掻き乱される。そして毎回感心するのだ、自分がこんなに何かを嫌悪することができることに。怒りは薄い、ただ恐怖と気持ち悪さが山のようにあって一向に減らない。

 

 

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好戦的な友人がいるが、あれとは戦い方やモチベーションの在り方が違うのだろうとも思った。息をするように喧嘩を吹っ掛けたがるのが友人なら、指を刃物で落とすように追い詰めたがるのがわたしだ。そんな滅多なことしちゃいけない、感情に任せると本当にかなり怖いにんげんになってしまう。ぽわんでとろんという印象。あなたに向ける感情のかたち、それがそのままわたしです。

淋しさも哀しさも苦しさも虚しさも感情なので抱えていてもいいのでしょう、それら全部を捏ね合わせてひとのかたちに整えたものの指が動いてタイピングをする。その蓄積である、ここ。

 

感情とは、すなわち自分自身だ。ひとによって差異があるのはわかっているけれど、わたしにとってはそういうものだ。自分の内から生じるものだとか、そこに勝手にあるものだとか、好奇や観察の対象とも違って(しかしその全部が正でありながら)、わたしそのものと言える。何をしているかなんて大した問題じゃなくて、何を感じているかが大事だ。ひとりでいるから淋しいのではない、淋しいという感情があることに原因なんてない、ただある。わたしがいる。i feel、それが総て。

感情を、感情を口にすることを許して欲しい。薄く切り取ったわたしだ。吐き出された淋しさを拾って捏ねて身体に貼り合わせる。食べづらいものばかりこの身に残る。

背中を寄越しなよ、靴紐結んでる間くらいは絶対に守り切る。そうだな、わたしの戦う理由なんてそんな程度のものだ。邪魔したらその手首も足首も落とす、境界線の番人だ、覚悟もせずに押し入るひとのことなんて知らない。