愛で二度死ねいや三度死ね

 

スクエアの関係、縦スクロールの世界のひとが横スクロールの世界のひとに呆れて見切りをつけたというニュース。
壊れた身体でも走ればどこかにつくと思うひとと、静かに待っているひと。誰もかれもを追い越して走って、そのひとの周りにひとがいない。それでもどこかにつくと思っていて、治ったら一緒に走ろうよって待っているひとを置き去りにして、心も遠く距離を取って、じゃあもうさようなら。そういう出来事。

見切りをつけたことに気づいた瞬間、最後のひと踏ん張りがもう有効じゃなかった瞬間、どんなことを考えていたのだろう。

 

いつも置いて行かれる心がうずくまって足を止めるから、飴を口に放り込んで手を取ってやる。脆弱で、いっそトドメをさしてしまいたい、でもこれがコアなんだってわかっている、心と感情にどれくらいの距離があるのかよくわかっていなくて、全部脳の残像でしょ、脳は身体だ。肉体の限り精神は続くとも思えない、でもそう仮定したとして、精神の限りの肉体なのかしら。指は無責任にこうやって言葉で遊びたがる。

小さい頃はあやとりが好きな子どもだった。ひとりあやとりを何周も何周もずっと繰り返していて、どこまでスピードと正確さを高められるかを試していた。ミスなく素早く繰り返すといつまでも終わらない。わたしはそうやって、未だに誰にもとられずひとりで回し続けていて、このまま仕舞うのではないかしら。
あれって途中でふたりあやとりに持っていける瞬間、何度かあるんですけどね。

 


ねえ星座の数より煩悩の数のほうが多いのってどう思う?

 

あ、星座と言えば、現パンデミックの変異株名、ラテン文字を使い終わったら88星座名を使うとかどうとか聞いた。

「4番目にくるのは水瓶座(Aquarius)で7番目は牡羊座(Aries)、病気の名前に使われたら可哀相……」といった意見を見たけれど、もう立派に病名のCancerとしましては不意打ち食らってきょとんとしてしまいましたね。ちなみにCancerは12番目、wikipedia見てたんだけどCから始まる星座って多いね。

 

蟹座の神話について。
ヘラクレスヒドラがばちばち戦ってる足元でヒドラに加担しようとしてヘラクレスの足を挟むんだけど、ヘラクレスには認識さえされず踏まれて即死という、なかなか…なかなか格好悪い感じのあらすじの、あれ……。

毒で何者も近寄れなくなっているアミモーネの泉、その泉を汚染し毒沼にしたのはのちにうみへび座となるヒドラで、ゆえに退治されることになる。でも、そんな沼に住めたのがのちに蟹座となるカルキノス。ふたりで呼吸をして、ふたりで話して、カルキノスにとっては唯一の友人のヒドラ。そんな友人が殺されかけているのを目の前にしたら、非力だろうが向こう見ずに敵の足を挟みに飛び出るし、呆気なく踏まれて死んだって悔いはないよなあと思った。ちなみにヘラクレスヒドラの毒をその後の戦いに活かすのですが、最終的にはその毒で死にます。神話のネタバレかましたった。

 

88という数字からひと足跳びにストーリーテラーをやってしまうこともあるさ。
いつも内側から蝕んでいきたい、そういえば「甘い毒」というモチーフに執着していた頃があった。今もあまり変わっていないかもね。

 

それからこれは、好きなイラストレーターが絵を担当したこの夏の曲。