幕間に子供騙しな誓いを聞いた

 

綿菓子をゆっと握るみたいなこと。白くて甘い魅惑のふわふわを捕まえて握り固める。ぺしゃんこになった塊には指のあと。ゆ、ゆ、ゆびのあと。それを夜空の隙間に放つ。指はすっかり甘くべとついて、舐めて頬を緩めてはきっと少し不快で、どんなものにも触れないようにしながら気をつけて歩く。夜空には握り潰された綿菓子がきらめいていて、変にビル風がぬるく感じるのはちょうど綿菓子がきらきら通り過ぎたせいだ。

べとついた指を慎重に保護して歩く、どんどん歩く。もしかしたらもう二度と新木場と呼ばれることのないかもしれないわたくし、わたくしの罪のひとつは新木場ではないのに新木場と呼ばれるたびに応じてきたことなのだろうか。駅前のビジネスホテルに泊まったら遠くに東京タワーが、足元にシゲキックスグレープ味のチューハイが見えた。不思議な距離感で欄干から眺める観覧車ももうじき回らなくなる。

 

雪間草がね、見たいの。
世界はまじで指先ひとつというか心持ちひとつというか。
雪間草がね、見たいんだけど、雪解け悪くって。
だからってざくざくスコップで掘ったところに草木萌出ってる(読み:そうもくめばえいづ-ってる)かっていうと微妙なところじゃんベイビー。じゃあ見えた土掘って種まこう? それともちょっとした木でも植え替えてみる?
待ってろっていうの。あめ、つち、かぜよ火よ。

 

 

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ヘドウィグ・アンド・アングリーインチとロッキー・ホラー・ショウを見た。バカ濃い化粧したひとばっかりですね。

人間球体説がいつも頭のどこかにあるからわたしはこんななのかな。その辺りの不安をちゃんと話してくれるヘドウィグが好き。ジョン・キャメロン・ミッチェルの演出ということで楽しみにしていた。どういう哀しさや怒りを笑うのか。以前見た森山未來版(大根仁演出)も面白かったけれど、もっとちゃんと素朴で原寸大の実在する総ての断絶の中心。丸山隆平のチャーミングで虚構を帯びた、でもちゃんと生身に感じられる佇まいもとてもハマっていた。

また古田新太のフランクが最後というのでこちらもどうしてもみたかった。バカみたいに光るマントと光るコルセット最高。中身がないって素晴らしいじゃないですか、よくわかんないけどバーン!ドーン!ワーーの世界観!!!っていうのに終始していて痛快というか、もう毎日頭のなかこんな感じでいたいんだよ~ッ 冒頭、斜幕越しにギターを弾くROLLYのシルエットが見えた瞬間のブチアガリ。品なんてかなぐり捨てて失楽園してこ!

 

 

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水みたいな心臓だなって思う。肺動脈を流れるのは静脈血ですはいここ試験に出ますからね。綿菓子を握るようなことじゃん、雪間草を待つみたいなことじゃん、ってほんと?

水みたいな心臓をいくつか持ちたい、髪の毛で束ねて尾てい骨に結びたい。姿勢よくしたくていろいろやってる、寝違えた首がずっと治らなくて支障が出てる、血が流れないのは水が足りていないからなの? こんなに身体むくんでるのに。

 

もう誰にも何もあげられない、ごめん。あらゆるストックがなくて、だから。出し惜しみじゃなくて本当に何も持っていない。ひとりで生きることに何度でも向き合う、生まれて死ぬまでひとり、混ざりあえない硬い肌を貼り付けてわかりづらいね、ヤマアラシみたいだったらわかりやすかったのにね。この身体ひとつをずっと抱きかかえて、自分のやわらかいお腹を守る。丸くなる、地球の真似っこのままで眠る。げっそりとふっくらと呼応する月を肌に寄せる、もっと水蒸気を吸ってぶよぶよになって欲しい。急カーブで吐く音が響いてたけど不思議な廊下には届いていなかったはず。

 

みんな怖いなあ、笑いながらこっちでギチギチに警戒してるから引き攣る。花粉のせいかずっと嗄声で立ち上がりも悪い。誰にも何も話せないと思う、誰にも伝えられないと思う、わたしはいつも正しくないけど、わたしにとって間違ってない。さみしいとか不安とかそんなのはみんな持っているもので、稚拙なのはわたしで、怖い、怖い分だけ個人戦をもっと強く戦い抜く必要がある。わたし武士だからそのへん宜しく。

 

だって口にしたら本当のことみたいでしょ?

 

唐突にこの曲しか聴きたくないという日があって自分でも驚いた、という話。