身に覚えはないでしょうけど

 

過ぎる季節に未練なんてないからこの鼻筋を保っていられる。それでも汗が首筋を伝うように指がキーボードを叩きたがるのは8月31日だから。だからって言ったけど理由になっていない、その理由を探すことももうやめた、未練があるから焦燥があるのではなくて焦燥があるせいで未練があるのだと勘違いをしているのだと思った。手つかずの余白に寝そべって、膨大さに潰されて、今日買ったSARASAのレッドブラック0.5mmを握り込んでこすりつけてめりめらめろっと埋めてゆく。余白を削れ、呼吸が乱れてもやめないで。

 

わたしは自分の頭がよくないことをちゃんと知っていて、そのぶん身体が賢い。頭の回転が遅いぶん倍速で拍動させているため普通に考えて早く死ぬ。「ゾウの時間ネズミの時間」ってそういう本だったよね。もっと、もっともっと身体で考えたい。

 

頭を使わず身体から滑り落ちるまま言葉を接続してゆくから、その怠慢を冷笑されるのだと思っていた。でもきっと身体から滑り落ちていると思われていなかったのだと気づいた。おそらく、頭で小難しく捏ねあわせてわかりづらく出力しているのだと思われている。その過剰装飾が冷笑されている。
誰が冷笑しているのかってみんなよみんな。それって誰?って質問、人生で何回してきたかわからないけど、わたしは我が物顔で使うよ。みんな。

でも何が無為で何が作為かを見抜く目なんて持ってない。結局は何を気持ち悪いと感じるかに尽きるから、鳥肌と吐き気が教えてくれる。気を悪くしないで、別に誰のことも否定していない、身がすくむのは反射であってあなたに罪はなく、ただわたしの許容範囲が狭い。

 

今日は頭を使いすぎている。

怪文だとか宇宙人みたいだとか言われてきたけど、お前たちの血に通っているのは教育で学んだ正しい言語なんですかってわたしはずっと聞きたいよ。
自分の肉をナイフで裂いてぼたぼたの血を晒しているつもりだ。血は理解されるために垂れるわけじゃなくて、ただ垂れている。理解されたいと望むのは血が巡るうちに生ずるひとつの欲望だとしても、血はそんなこと言わない。血は巡るだけ。

なのにお前たちはさ、手首に傷跡の絵を描いて、さあどの色が綺麗だとか生々しいとかグロテスクだとかデフォルメが上手とかそんな話で盛り上がっている。肉体で閉じた血が巡る、筆を走らせる。どれも素敵に描けているけれどでもそれは血じゃない。

ちゃんと血を流そうよって裸のわたしが言っているのを見たのはこの夏の話。

あとは初対面のいぬ(ビション・フリーゼとチワワのミックス)に会った、くしゃみにひどく怯えていた。それからハムスターを描くのにかかる時間は3秒だって知った。滑り込みでみゃんしになった、なるまでやった。

閉じるための曲をいま再生した。最後に再生したのは2022/09/01、今年は彼女が帰ってくる、来月、もう今月になる、帰ってくるね。