未至で非熱の肉が鳴る

 

報われまくると思って生きてきてないけど、全方位報われないとさすがに落ち込む。無欲になることはたぶん案外簡単だけれど、自我を残したまま至るのは難しい。放っておいたってこんな風に夏に至るけれど、わたしはずっと中途で膝を抱えて音楽を聴いている。血だけが流れていて、ここに季節は刺さってない。芯のようにすっと通っていて欲しいのに、夏はぐずぐずに腐ってすぐに汁をこぼし出す。アルデンテに至れないやわらかすぎるにゅうめん。そうそう、養命酒が出しているインスタントにゅうめんは少し高いけれどおいしいよ。今朝も食べた。

短い夜に長く泣いて、寝苦しくて寝つけなくてどうしようもないから寝不足で、いっそ全部無視して眠ってやろうか世界が終わるまで。つまり死ぬまで。結局起きてすぐ常温のミネラルウォーターを1本開けた。

 

身体に落ちる水とにゅうめんが染みて、食事はちゃんと身体に還元されていて報われる行為だなと思う。
そもそもひとはひとりで完璧な機関だからそれ以上を求めて報われるとか言うほうが気がおかしい。もっと閉じて完結してしまえばわたしはただただ報われ続ける。眠れば気持ちいい、飲めば楽しい、そういういきものになれたら、どんな関係もひとつも求めずにいられたら。でもひとは社会的動物って言うしな?

 

縫っても縫ってもかがった先から布が破けていくからどうしようもない。それでもどうにか頑張った、頑張ったけど届かなかった。わたしの10年以上の営みより、思い付きのたったのひとことが重たいらしい。
どこにも届かないんだよ。どこにも届かないって知ってた、知ってて賭けたなら文句なんて言うなって話なんだけど、哀しいものは哀しいって言わせてくれよ。別に他の誰に何も言わないよ。そもそもここはわたしの城だしな、文句なんて言うなって話。

 

この熱が、誰にも届かないのなら、せめて身体を煮やしてくれたらいい。

イモリを飼っていた夏、窓辺に置き去りにしてしまったことがあった。水槽はとても小さかった。帰宅したらすっかり煮えてたんぱくの塊になったイモリがいて、たんぱくっぽい白を帯びて水草に引っかかっていた。謝っても謝っても加熱した事実は不可逆でどうしようもなかった。せめて食べたいって思ったけどそれもしてあげられなくて、結局普通に土に埋めた。
あんな風に煮えてしまえたら。

 

なんて妄想を口にしたって実際のわたしの身体は今も冷風のしたで喉を傷めている。熱が通って固くなるのは心ばかりで身体と釣り合いが取れない。たらればと空想が慰みになる心は、心? 心があるみたいな言い方しちゃった はしたない

 

にっちもさっちもいかない話だけどわたしはずっと自分の戦場にいる、「がんばったけれどダメだったよ」って大槻ケンヂがのんきな口調で歌う短い曲が頭のなかで流れ出す。それから小さな恋のメロディ。誰にも何も言われなくても、わたしは欲しい言葉を音楽や詩の中から探すことができる。誰に宛てた言葉かは大概の場合不明だが、誰かが誰かに対してそう思ったことがあるという事実だけで嬉しくなれる。
わたし宛じゃないことが哀しくもなるけれど、そこまではもう掘らない。わたしのためにできているものなんてない、というか総てがわたしのためにできているのだから不毛な話だ。

 

完璧に所有しているこの身体ひとつ抱いている、膝を抱いている、いつまでも夏に至れない。わたしのいていい季節はない。それでも肺は勝手に伸び縮みをするし、血液は隅々まで酸素を届ける。早く煮えてしまえと言いながら、いつか総てを手放してちゃんとわたしもいなくなる。そうしたらこの椅子にもきっと正しい季節がめぐってくるのだろう。