綺麗に歪ませるために整えられた眉

 

天気のいい中歩いていたらチワワ連れたおじいさんがうずくまりつつも立ち上がろうとしていたので捻挫かなと思って肩を貸しがてら話を聞いたら急に右脚全部力入らなくなっちゃってーってことらしく力の入らない身体って重いから結局近くの建物から人手を呼んでどうにかこうにか車椅子に座らせるまですごく大変だった。何が大変だったかってずっとチワワに威嚇されてた、車椅子に絡みつくチワワ(猛威嚇)、弱った飼い主を守りたいのはなんかこうすごくわかるんだけど、なんだろうな、絶妙に無力で可愛かった(猛威嚇され)。

ぶらさがる脚の重たさを思い出しながら再度歩き始めつつ、そういえばこういう手口で近寄ってきたひとを襲うみたいな話っていくらでもきくよな、とか考えた。立ち上がろうとして失敗して頭打ちそうになってるひとに悪意なんて感じなかったからここで手放しになれたのは全く正解なんだけれど、もしこれで怖い目に遭っていたらという想定は常にしておかないといけないのが嫌だ。裏側でそういう警戒しながら弾き出した結論に間違いはないんだけど、チワワとわたしにどれだけ力の差があるっていうんだろうね。

ある日急に麻痺を起こすのは怖いことだよ、パラリシスという単語を覚えたのは17の夏の話だったっけ。

その後彼はちゃんと家に帰れたのだろうか。

 

春の通り道を歩いている、って思う。梅も綻ぶ日和に為すことなんて浮かばない。どんな余裕も余地もない、何も残されていない背水の陣で動けない、動けないのは心だけ。あとたぶん腸の動きも妙でおなか痛い。なんとなく立ち寄ったスーパーのフルーツは全体的に傷んでいてイチゴのパックをひっくり返したら潰れていたりしたけれど、柑橘類のサンプルとして本物を切ったのが展示されていたのがよかった。「せとかの品種改良(名前はまだありません)」というのを買おうかと思ったのだけれど、その隣に置かれていた麗紅というのにした。せとかの品種改良と同じ大きさで同じ値段で2個入っていたからだ。手で剥いて食べた、とてもおいしかった。手で剥ける柑橘類が好き。手に残るにおいも好き。つるりとした皮に爪と指を立てて力を入れて侵食してゆく。そこからぶよっとした感触のさらさらしたものを丁寧にはがしてゆくのがいい。ひとつのものがふたつになる、でも絡まっていた異質なもの同士を分別するような気持ちよさもある。なんだかこうやって書くと残酷だな、何をもって異質なもの同士だなんて表現しているんだろう。オノマトペで書き分けられる触感とかですか? なんでもいいけどちょっと贅沢な柑橘類ってすごくいい気分になれるねっていうお話。

 

わたしの心と行為に爪を立てて指を押し入れるようなことをしないで欲しい。それらは異質なもの同士ではないのだから、わけてしまって異質ということにしたら瓦解するようなものだから。

おじいさんを抱え起こして柑橘類を剥く日に春だなあと思った。

あなた方の望むような回答を叩き出し続けたらおかしくなってしまうよ、望まない回答をしたら瞬殺するくせにそれをするってわかっていて聞いたでしょう?

 

3年くらい前に買った厚手のロングニットカーディガンがあって、紫とブラウンがまざったような色とちょっとしたアウターにもできる便利さが好きで春も秋も冬も着ていたからさすがに毛玉でもけもけだ。似たようなロングニットを探したけれど全然なかった、流行りじゃないのか、それとも春はみんなトレンチコートを着るからだろうか。やっと見つけたのは生地の厚さがイメージと違って薄いけれど、でもないよりはいいよねと買う。春色ばかりが並んでいて、そういうのってどうにも気後れするのよね、とまた黒いのを選んだ。とどのつまり黒い服が好き。そこに色や柄を挿したりするのは楽しいし似合う気がする、といいながらまあまあ色キチガイの節もあるからドピンクのズボンとか普通に持ってるし穿くし。そういえば今年まだ緑の革パン穿いてない。革パンを持っていることもそれが緑であることも愉快な気持ちになる、緑の革パンとはそういう服なのだ。

 

朝、ランタンパレードを聴いて潰されて過ごしてみたらとても気だるくて気持ちにはフィットしてた。

 

口ずさむ一行、手が書き出してしまう一節、そういうものを紡いだ誰かの脳に、思い出したわたしの神経や指先が触れてしまいはしないだろうか(しない)してみたい(どうだろう)されてよ(いやだよ)。